Main

 
勝 海舟 人物辞典


幕末 人物辞典



会沢 正志斎:あいざわ・せいしさい:天明2−文久3
水戸藩士。藤田幽谷(ゆうこく)に学び、水戸学の代表的著書『新論』を著した。また『大日本史』編募局 の彰考館の総裁、藩校弘道館の教授頭取などを歴任。文久2年には、一橋慶喜に『時務策』を提出した。
正志斎の『新論』は、尊王擾夷派の志士たちにとっての[バイブル]ともいうべき書であったが、晩年に 著した『時無策』では擾夷論を捨て去り、
「今の日本の武力では外国に勝てるはずもない。今は軽挙妄動をつつしみ、開国して外国と通商するのが 妥当である」と説いた。 この変節には諸藩の志士たちも驚き、正志斎を暗殺しようとした者もあったという。しかし、 すでに高齢だった正志斎は、翌年老衰のため没してしまった。享年82歳。

安島 帯刀:あじま・たてわき:文化8−安政6
水戸藩士。名は信立。勘定奉行、小姓頭取を歴任、弘化1年藩主徳川斉昭処罰に際し、雪寃(せつえん)に 奔走して謹慎をなる。
安政3年側用人、安政5年家老となったが、戊午の密勅受領の責任を幕府から問われ、安政6年切腹した。

姉小路 公知:あねがこうじ・きんとも:天保10−文久3
尊攘派公家。安政5年、安政五か国条約調印に反対し、急進攘夷派の公家として活躍する。
文久2年和宮降嫁に尽力した岩倉具視らを弾劾し、攘夷督促のための別勅使の副使をして正使三条実美と 江戸に赴く。
帰京後は、国事御用掛、ついで国事参政となったが、文久3年5月20日暗殺された。

阿部 正弘:あべ・まさひろ:文政2−安政4:

荒井 郁乃助:あらい・いくのすけ:天保6−明治42
長崎海軍伝習所に学び、歩兵頭並、軍艦頭などを歴任。
明治1年、五稜郭の戦いでは、榎本武揚に従い、海軍奉公を勤める。
維新後は、開拓使に出仕し、1887年初代中央気象台長になった。

有栖川宮 熾人親王:ありすがわのみ・やたるひとしんのう:天保6−明治28
皇族、軍人。将軍家茂に嫁いだ和宮の元婚約者。
元冶1禁門の変後、国事御用掛を罷免されるが、慶応3年に許され、王政復古で総裁職に就任した。 戊辰戦争では、東征大総督・会津征伐大総督を歴任し、明治3兵部クとなり、以後西南戦争の征伐総督、 陸軍大将、参謀総長などを歴任。その間元老院議長、左大臣等を勤める。

有馬 新七:ありま・しんしち:文政8−文久2
薩摩藩士・尊攘激派の一人。もと郷士。号は、埴鈴子。
弘化2上洛して梅田雲浜(うんぴん)と親交した。日米修好通商条約調印や将軍継嗣問題に関する井伊直弼 の専断に反対し、尊攘激派となった。文久2、4月島津久光上洛の時、藩内急進派を率いて京都所司代 などを襲おうとしたが、久光により鎮圧され伏見寺田屋にて斬死した。

有村 次左衛門:ありむら・じざえもん:天保9−万延1
薩摩藩士。長兄は有村俊斎(海江田信義:かえだ・のぶよし)、次兄は有村雄助。
安政5年(1858)江戸に出て、千葉道場で北辰一刀流の剣術を学んだ。大老井伊による安政の大獄に 憤激し、万延1年(1860)、水戸藩士17人とともに江戸城桜門外で井伊を討ち果たす。 しかし、警護の兵との斬り合いで重傷を負ったため、近くの辻番所の門前で喉を突いて自殺を図るが 死にきれず、番所の役人に事情を尋ねられても喉の傷から空気がもれえ声にならない。 それで傷口を手で押さえながら、姓名だけは名乗り、間もなく息を引きとった。享年23歳。
尚、次兄雄助も事件に関与しており、薩摩藩命で切腹させられた。

安藤 信正:あんどう・のぶまさ:文政2−明治4

井伊 直弼:いい・なおすけ:文化12−安政5

飯田 忠彦:いいだ・ただひこ:要人:子邦:寛政11−文久1
国学者、歴史家。周防の人。河内八尾の郷士・飯田家を継ぐ。
有栖川家に仕え、安政の大獄に連座し、のちの桜田門外の変への関連を疑われて自害した。主著『野史』

飯沼 貞吉:いいぬま・さだきち:54−1931

板垣 退助 :いたがき・たいすけ:天保8−大正8年
土佐藩出身。藩を倒幕派にまとめ、1868年戊辰戦争では東山道先鋒総督府参謀などを務めた。

市川 三左衛門:いちかわ・さんざえもん:18−69

伊藤 博文:いとう・ひろふみ:天保12−明治42
長州藩出身。最下層の士分に属し松下村塾に学ぶ。高杉晋作にしたがって、尊王攘夷運動に挺身し、 イギリスに留学、帰国後藩内革新派として活躍した。
明治維新後、参与兼外国事務局判事、兵庫県知事を歴任。明治4年(1871)岩倉使節団の副使となり、 大久保利通の信任を得る。

伊庭 八郎:いば・はちろう:弘化1−明治2
幕臣。名は秀頴(ひでさと)。若くして剣術を極め、伊庭の小天狗と呼ばれた。元次1年、将軍の親衛隊 である奥詰に選ばれ、慶応2年遊撃隊を改称。
慶応4年、鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れ江戸に帰還後、遊撃隊の一部を率いて箱根に進撃した。 しかし、三枚橋のたもとで敵兵の斬撃を左手に浮け、皮一枚を残して手首が切断される重傷を負う。以後、 隻腕の身となりながらも、箱根の旧幕府軍に合流して徹底抗戦をつづける。最期は、五稜郭内で療養中に 劇薬のモルヒネを飲んで絶命した。享年26歳。

入江 九一:いりえ・くいち:天保8−元治1
長州藩士。萩土原村の足軽の家に生まれる。安政5年、吉田松陰の松下村熟に入門する。松門四天王の一人。
松陰の老中間部詮勝(まなべ・あきかつ)の暗殺計画には、高杉晋作、久坂玄端らの門人たちが全員反対 するなか、入江ただ一人が賛同した。
松陰の死後は、尊王倒幕に尽力するが、元治1年、禁門の変、堺町御門の鷹司屋敷で、入江は久坂らと ともに自刃しようとしたが、久坂に
「帰国して殿に御報告申し上げろ」と諭され、脱出を決心したが、屋敷を出たところで福井藩兵に出くわし、 槍で顔面を貫かれて即死した。享年28歳。

伊地知 正治:いじち・まさはる:文政11−明治19
薩摩藩出身。薩英戦争・禁門の変で軍功をあげ、戊辰戦争では東山道(とうさんどう)先鋒総督府参謀を 務める。
維新政府では、左院副議長・議長となり、1875年(明治8)侍講、'77年修史館総裁に就任。

板垣 退助:いたがき・たいすけ:天保8−大正8年

板倉 勝静:いたくら・かつきよ:文政6−明治22

伊東 玄朴:いとう・げんぼく:寛政12−明治4
名は淵。字は伯寿、号は冲斎・長翁・長春院。肥前佐賀藩士。
長崎に遊学し、シーボルトに医学を学ぶ。江戸に出て開業し、内科書『医療正始』24巻を訳述し出版。 弘化3(1846)牛痘苗の接種に成功、安政5(1858)の江戸神田お玉ケ池種痘所の創立に尽力、 のち幕府侍医・西洋医学所取締となる。

井上 清直:いのうえ・きよなお:文化6−慶応3
通称信濃守。父は内藤吉兵衛、弟は川路聖謨。旗本井上新左衛門の養子となる。
老中・阿部正弘に登用され、安政2年(1855)下田奉行。日米修好通商条約に全権として調印。 開国派で外国奉行などを歴任した。

井上 源三郎:いのうえ・げんざぶろう:29−68

井上 聞多:いのうえ・もんた:天保6−大正4
長州藩出身。尊攘運動に参加。文久3年(1863)イギリスに留学したが、四国艦隊下関砲撃事件で帰国、 講和に努力する。以後、討幕運動に活躍。慶応2年(1866)、大願寺にて勝海舟との交渉に参加。
明治政府の参与、大蔵大輔として、地租改正・秩禄処分を推進。

岩倉 具視:いわくら・ともみ:文政8−明治16

岩崎 弥太郎:いわさき・やたろう:天保5−明治18

岩瀬 忠震:いわせ・ただなり:文政1−文久1
字は善鳴。老中・阿部正弘に登用され、開国論を唱えて外交・海防事務に従事。安政5(1858)老中・ 堀田正睦に従い上洛し、日米修交通商条約勅許獲得のため奔走したが失敗。大老・井伊直弼の命で井上清直 とともに勅許を待てずして条約に調印。ついで、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとの条約に調印。 将軍継嗣問題では一橋慶喜を推し、たことから安政の大獄で処罰された。

宇都宮 黙霖:うつのみや・もくりん:文政7−明治30
勤王僧。安芸長浜の人。本願寺の僧として諸国を遍歴し、尊王派と交わり討幕の志をいだく。吉田松陰との 論争は有名。
第一次幕長戦争の時、広島に潜入して捕らえられた。慶応2年還俗して宇都宮雄綱(かつつな)と名のる。 明治2年許され、のち湊川神社、男山八幡宮の神官を歴任。

梅田 雲浜:うめだ・うんぴん:文化12−安政6
若狭小浜藩士。崎門(きもん)学を修める。
嘉永5(1852)海防に関する藩政批判により浪人となる。尊王攘夷を唱え、将軍継嗣問題では一橋派 に属し、井伊直弼排斥をくわだて、安政の大獄で獄死した。

江川 坦庵:えがわ・たんあん:享和1−安政2

江藤 新平:えとう・しんぺい:天保5−明治7

榎本 武揚:えのもと・たけあき:天保7−明治41

大久保 忠寛:おおくぼ・ただひろ:文化14−明治21

大久保 利通:おおくぼ・としみち:天保1−明治11

大隅 重信:おおすみ・しげのぶ:天保9−大正11
佐賀藩出身。明治・大正期の政治家。
藩校弘道館で蘭学を学び、明治1年(1868)新政府の微士参与職、外国事務局判事として浦上のキリスト教 処分にあたり、また財政・鉄道事業に尽力する。

大倉 喜八郎:おおくら・きはちろう:天保8−昭和3
新潟県出身。
江戸で銃砲輸入商を開業。戊辰戦争で官軍御用達となっていらい、軍の御用商として戦争のたびに巨利を博し、 貿易・土木・鉱山・ホテルなど多方面に進出して、大蔵財閥を築いた。

大塩 平八郎:おおしお・へいはちろう:寛政5−天保8
江戸後期の儒者。
家職の大坂町奉行所与力を勤め、名与力と称された。
学問は陽明学を学び、知行合一を新奉。自宅に私塾洗心洞を開いて子弟教育にあたり、辞職後は学問に専念した。 天保の大飢饉に際し、1837年窮民救済のため兵を起こすが失敗して自殺した。

大島 高任:おおしま・たかとう:文政9−明治34
幕末・明治期の鉱山技師。陸奥の人。
天保13年(1842)江戸の箕作阮甫・坪井信道らに学び、弘化3年(1846)長崎で砲術・採鉱・精練技術を 学んだ。水戸藩に招かれ、安政2年(1855)反射炉を建設し、安政4年(1857)釜石鉱山に高炉を築き 磁鉄鉱の生産に成功した。

大鳥 圭介:おおとり・けいすけ:天保4−明治44
幕臣、外交官。兵庫県出身。
緒方洪庵・江川英敏らに蘭学・兵学を学び、慶応2年(1866)幕臣となり洋式の歩兵調練を行った。 慶応4年(1868)2月歩兵奉行。4月以後幕兵を率いて日光・会津で新政府軍と戦い榎本軍に合流して、 箱館・五稜郭にたてこもった。翌年降伏し、明治5年(1872)許され政府に出仕。工部技監、学習院院長 を歴任し、1893年日清戦争直前の外交を担当した。

大原 重徳:おおはら・しげとみ:享和1−明治12
幕末の公家。安政5年(1858)日米修好通商条約の勅許に反対して、安政の大獄の連座。
文久2年(1862)勅使として島津久光と共に江戸に入り、幕政改革を促す。
維新後は刑法官知事、集議院長官等を歴任。

大村 益次郎:おおむら・ますじろう:文政8−明治2
医師・兵学者。もと村田蔵六.周防の人。
梅田幽斎、緒方洪庵に学び郷里で医業を営む。嘉永6年(1853)宇和島藩に招かれて、洋学を独学する。 洋学の知識が認められ、幕府に出仕、蕃書取調所教授方手、伝講武所教授を歴任する。桂小五郎に認められ、 長州藩の軍政改革を指導、第2次幕長戦争において卓越した作戦指揮を行い、明治2年(1869)兵部大輔と なり、近代軍政の樹立に尽力した。同年反対派士族に襲われ死亡。

大山 綱良:おおやま・つなよし:文政8−明治10
幕末の薩摩藩士。
尊王攘夷派の精忠組に属したが、文久2年(1862)寺田屋騒動では藩命で同士を斬った。
明治1年(1868)戊辰戦争で奥羽鎮撫総督参謀を務め、1871年鹿児島県大参事、のち1874年県令となる。 1877年西南戦争では西郷軍を助け、官金を軍資金に提供し同年斬罪に処された。

岡田 以蔵:おかだ・いぞう:天保9−慶応1:

小笠原 長行:おがさわら・ながみち:文政5−明治24
幕末の唐津藩主の世子。老中。
文久3年(1863)生麦事件の処理をめぐり免職謹慎となるが、慶応1年(1865)老中となった。 慶応2年第二次幕長戦争では、小倉口の戦いで敗れ、免職されたがすぐに老中に復帰する。慶応3年 外国事務総裁となり、兵庫開港を担当した。
慶応4年戊辰戦争では、会津・箱館で新政府に抗戦し、降伏後潜伏。明治5年自首して不問にされた。

緒方 洪庵:おがた・こうあん:文化7−文久3
江戸後期の蘭医。備中足守の人。
大坂の中天游(なかてんゆう)、ついで江戸の坪井信道(しんどう)・宇田川玄真に学ぶ。長崎遊学の後、 大坂で適々斎塾を開き、門下から大村益次郎・橋本左内・福沢諭吉・大鳥圭介らが出た。
嘉永2年(1849)大坂に種痘館を開き、文久2年(1862)江戸に出て幕府奥医師兼西洋医学所頭取 となる。著書に『病学通論』『扶氏経験遺訓』『虎狼痢(ころり)治準』など

沖田 総司:おきた・そうじ:42−68

小栗 忠順:おぐり・ただまさ:文政10−明治1:

男谷 精一郎:おだに・せいいちろう:寛政10−元治1
幕末期の幕臣で剣客。名は信友。号は静斎。下総守。
団野真帆斎に直心影流の剣法を学ぶ。安政2年(1855)幕府・講武所頭取。文久3年(63)西丸留守居役格、 講武所奉行並。

小山田 与清:おやまだ・ともきよ:天明3−弘化4
江戸後期の国学者。武蔵の人。字は将曹、号は松屋。
考証学に優れ平田篤胤・伴信友と共に国学三大家と称された。主著『松屋筆記』『擁書楼(ようしようろ)日記』

オールコック:Sir Rutherford Alcock:1809−1897
イギリスの外交官。中国の領事を経て、安政5年(1858)日本駐在総領事・公使となる。文久1年(1861) 水戸浪士に襲われて一時帰国。
再来日の後、列強の駐日外交団を主導したが、四国連合艦隊の下関砲撃が本国政府の承認を得ていなかった為 元治1年(1864)召還された。
以後65−71年、清国公使。彼の対日政策および行動は在日3年間の記録『大君の都』に詳しい。

梶原 兵馬:かじわら・へいま:42−89

春日 潜庵:かすが・せんあん:文化8−明治11

和宮 親子:かずのみや:弘化3−明治10:

加藤 徳成:かとう・とくなり:天保1−慶応1

金子 孫二郎:かねこ・まごじろう:04−61

賀茂 規清:かもの・のりきよ:寛政10−文久1

萱野 権兵衛:かやの・ごんべえ:30−69

河井 継之助:かわい・つぐのすけ

河上 彦斎:かわかみ・げんさい:天保5-明治4

川路 聖謨:かわじ・としあきら:享和1−明治1

川本 幸民:かわもと・こうみん:文化7-明治4

菅野 八郎:かんの・はちろう:文化7-明治21

来島 又兵衛:きじま・またべえ:文化14−元治1

木戸 孝允:きど・たかよし:天保4−明治10

木梨 精一郎:きなし・せいいちろう:

木村 喜毅:きむら・よしたけ:天保1−明治34

清川 八郎:きよかわ・はちろう:天保1−文久3

桐野 利秋:きりの・としあき:天保9−明治10

久坂 玄瑞:くさか・げんずい:天保11−元治1

日柳 燕石:くさなぎ・えんせき:文化14−明治1

久世 広周:くぜ・ひろちか:文政2−元治1

国司 信濃:くにし・しなの:天保13−元治1

雲井 竜雄:くもい・たつお:弘化1−明治3

グラヴァー:Thomas Blake Glover:1838−1911

グラント:Ulysses Simpson Grant:1822−1885

栗本 鋤雲:くりもと・じょうん:文政5−明治30

黒川 春村:くろかわ・はるむら:寛政11−慶応2

黒川 真頼:くろかわ・まより:文政12−明治39

黒田 清隆:くろだ・きよたか:天保11−明治33

月性:げっしょう:文化14−安政5

月照:げっしょう:文化10−安政5

河野 敏鎌:こうの・とがま:弘化1−明治28

考明天皇:こうめい:天保2−慶応2

古賀 謹一郎:こが・きんいちろう:文化13−明治17

小関 三英:こせき・さんえい:天明7−天保10

五代 友厚:ごだい・ともあつ:天保6−明治18

後藤 象二郎:ごとう・しょうじろう:天保9−明治30

小松 帯刀:こまつ・たてわき:天保6−明治3

近藤 勇:こんどう・いさみ:天保5−明治1

西郷 隆盛:さいごう・たかもり:文政10−明治10

西郷 従道:さいごう・つぐみち:天保14−明治35

西郷 頼母:さいごう・たのも:30−1903

斎藤 監物:さいとう・けんもつ:22−60

斎藤 一:さいとう・はじめ:44−1915

斎藤 弥九郎:さいとう・やくろう:寛政10−明治4

坂本 龍馬:さかもと・りょうま:天保6−慶応3
勝海舟と坂本龍馬

相楽 総三:さがら・そうぞう:天保10−明治1年
略歴
  • 天保10年:1839:下総国相馬郡の郷士小島兵馬の子として江戸赤坂に生まれる。
  • 文久1年:1861:尊王擾夷を実行すべく、関東甲信越をめぐり同士を募った。
  • 文久2年:1862:上野国赤城山に挙兵したこうがい組に加わるが、破れて江戸に逃げ帰る。
  • 元治1年:1864:天狗党の筑波山挙兵に参加するも、藤田小四郎と仲たがいし、下山する。
  • 慶応3年:1867:京都で志士活動を行う。西郷隆盛の密名を受け江戸に戻り、幕府を挑発して 暴発させるため、同士を集めて騒乱を起こす。
  • 明治1年:1868:西郷の指示で官軍先鋒たる赤報隊(せきほうたい)を結成し、年貢半減をかかげて 東山道を進軍するが、半減実行の不可を悟った新政府により、偽官軍の汚名を着せっれ捕縛され、 信濃国下諏訪で処刑された。

    佐川 官兵衛:さがわ・かんべえ:31−77

    佐久間 象山 :さくま・しょうざん:文化8−元治1

    佐佐木 高行:ささき・たかゆき:天保1−明治43

    サトウ:Sir Ernest Mason Satow:1843−1929

    真田 幸貫:さなだ・ゆきつら:寛政3−嘉永5

    佐野 常民:さの・つねたみ:文政5−明治35

    沢 宣嘉:さわ・のぶよし:天保6−明治6

    沢 太郎左衛門:さわ・たろうざえもん:

    三条 実万:さんじょう・さねつね:享和2−安政6

    三条 実美:さんじょう・さねとみ:天保8−明治24

    塩谷 宕陰:しおのや・とういん:文化6−慶応3

    宍戸 左馬之介:ししど・さまのすけ:文化1−元治1

    渋沢 栄一:しぶさわ・えいいち:天保11−昭和6

    渋田 利右衛門:しぶた・りうえもん

    島田 魁:しまだ・かい:28−1900

    島田 虎之助 :しまだ・とらのすけ

    島津 忠義:しまづ・ただよし:天保11−明治30

    島津 斉淋:しまづ・なりあきら:文化6−安政5

    島津 久光:しまづ・ひさみつ:文化14−明治20

    清水 次郎長:しみずの・じろちょう:文政3−明治26

    神保 修理:じんほ・しゅり:38−68

    新門 辰五郎:しんもん・たつごろう:寛政12−明治8

    杉 亨二 :すぎ・こうじ:文政11−大正6:

    調所 広郷:ずしょ・ひろさと:安永5−嘉永1

    周布 政之助:すふ・まさのすけ:文政6−元治1

    関 鉄之介:せき・てつのすけ:文政7−文久2

    芹沢 鴨:せりざわ・かも:?−文久3
    本名:木村継次(つぐじ)。常陸国行方郡芹沢村の富農の倅。斎藤弥九郎の神道無念流免許皆伝。
    水戸・天狗党時代から粗暴をふるい入牢のうえ、死罪を申し渡されたが、武田耕雲斎の尽力で文久2年冬の 大赦によって放免される。浪士組に参加した時32歳〜34歳。
    文久3年9月18日、近藤・土方・沖田・山南・井上・原田によって暗殺された。

    副島 種臣:そえじま・たねおみ:文政11−明治38

    大楽 源太郎:だいらく・げんたろう:天保5−明治4

    高崎 正風:たかさき・まさかぜ:天保7−大正1

    高島 秋帆:たかしま・しゅはん:寛政10−慶応2

    高杉 晋作:たかすぎ・しんさく:天保10−慶応3

    高野 長英:たかの・ちょうえい:文化1−嘉永3

    高橋 景保:たかはし・かげやす:天明5−文政12

    高橋 多一郎:たかはし・たいちろう:文化11−万延1

    高橋 泥舟:たかはし・でいしゅう:天保6−明治36

    竹内 保徳:たけうち・やすのり:文化4−慶応3

    武田 観柳斎:たけだ・かんりゅうさい:?−66

    武田 耕雲斎:たけだ・こううんさい:文化1−慶応1

    武市 瑞山:たけち・ずいざん:文政12−慶応1

    伊達 宗城:だて・むねなり:文政1−明治25

    伊達 慶邦:だて・

    田中 土佐:たなか・とさ:20−68

    田中 光顕:たなか・みつあき:天保14−昭和14

    千葉 周作:ちば・しゅうさく:寛政6−安政2

    津田 真道:つだ・まみち:文政12−明治36

    筒井 政憲:つつい・まさのり:安永18−安政6

    天璋院:てんしょういん:天保7−明治16

    東郷 平八郎:とうごう・へいはちろう:弘化4−昭和9

    徳川 家定:とくがわ・いえさだ:文政7−安政5

    徳川 家達:とくがわ・いえさと:文久3−昭和15

    徳川 家斉:とくがわ・いえなり:安永2−天保12

    徳川 家茂:とくがわ・いえもち:弘化3−慶応2

    徳川 家慶:とくがわ・いえよし:寛政5−嘉永6

    徳川 斉昭:とくがわ・なりあき:寛政12-万延1

    徳川 慶篤:とくがわ・よしあつ:天保3−明治1

    徳川 慶勝:とくがわ・よしかつ:文政7−明治16

    徳川 慶福:とくがわ・よしとみ:⇒徳川家茂

    徳川 慶喜:とくがわ・よしのぶ:天保8−大正2

    伴林 光平:ともばやし・みつひら:文化10−元治1

    長井 雅楽:ながい・うた:文政2−文久3

    永井 尚志:ながい・なおむね:文化13−元和5

    永井 青崖 :ながい・せいがん:

    中岡 慎太郎:なかおか・しんたろう:天保9−慶応3

    永倉 新八:ながくら:しんぱち:39−1915

    中島 信行:なかじま・のぶゆき:弘化3−明治32

    中島 登:なかじま・のぼり:38−87

    中島 広足:なかじま・ひろたり:寛政4−元治1

    中根 雪江:なかね・ゆきえ:文化4−明治10

    中野 竹子:なかの・たけこ:47−68

    長野 主膳:ながの・しゅぜん:文化12−文久2

    中浜 万次郎:なかはま・まんじろう:文政10−明治31

    中山 忠光:なかやま・ただみつ:弘化2−元治1

    鍋島 直正:なべしま・なおまさ:文化11−明治4

    新見 錦:にいみ・にしき:不明

    西 周:にし・あまね:文政12−明治30

    錦小路 頼徳:にしきのこうじ・よりのり:天保6−元治1

    パークス:Sir Harry Smith Parkes:1828−1885

    橋本 左内:はしもと・さない:天保5−安政6

    原田 左之助:はやし・ふくさい:寛政12−安政6

    林 復斎:はやし・ふくさい:寛政12−安政6

    東久世 通禧:ひがしくぜ・みちとみ:天保4−大正1

    土方 歳三:ひじかた・としぞう:35−69

    一橋 治済:ひとつばし・はるさだ:宝暦1−文政10

    ヒュースケン:Henry C.J. Heusken:1832−1861

    平野 国臣:ひらの・くにおみ:文政11−元治1

    広沢 真臣:ひろさわ・さねおみ:天保4−明治4

    広沢 安任:ひろさわ・やすとう:30−91

    福岡 孝弟:ふくおか・たかちか:天保4−大正8

    福沢 諭吉:ふくざわ・ゆきち:天保5−明治34

    藤田 小四郎:ふじた・こしろう:天保13−慶応1

    藤田 東湖:ふじた・とうこ:文化3−安政2

    藤田 幽谷:ふじた・ゆうこく:安永3−文政9

    プチャーチン:Evfimii Vasilievich Putyatin:1803−1883

    ヘボン:James Curtis Hepburn:1815−1911

    ペリー:Matthew Calbraith Perry:1794−1858

    堀田 正睦:ほった・まさよし:文化7−元治1

    ポンペ:van Meerdervoort Pompe:1829−1908

    前田 夏蔭:まえだ・なつかげ:寛政5−元治1

    前原 一誠:まえはら・いっせい:天保1−明治9

    真木 和泉:まき・いずみ:文化10−元治1

    益満 休之助:ますみつ・きゅうのすけ:天保12−明治1

    松浦 武四郎:まつうら・たけしろう:文政1−明治21

    松尾 多勢子:まつお・たせこ:文化8−明治27

    松平 容保:まつだいら・かたもり:天保6−明治26

    松平 容敬:まつだいら・かたたか:06−52

    松平 慶永:まつだいら・よしなが:文政11−明治23

    松本 良順:まつもと・りょじゅん:天保3−明治40

    間部 詮勝:まなべ・あきかつ:文化1−明治17

    三浦 啓之助:みうら・けいのすけ:48−77

    三国 大学:みくに・だいがく:文化7−明治29

    水野 忠邦:みずの・ただくに:寛政6−嘉永4

    箕作 阮甫:みつくり・げんぽ:寛政11−文久3

    壬生 基修:みぶ・もとなが:天保6−明治39

    宮部 鼎蔵:みやべ・ていぞう:文政3−元治1

    陸奥 宗光:むつ・むねみつ:弘化1−明治30

    村垣 範正:むらがき・のりまさ:文化10−明治13

    村田 清風:むらた・せいふう:天明3−安政2

    村田 蔵六:むらた・ぞうろく:⇒
    大村 益次郎

    明治天皇:めいじ・てんのう:嘉永5−明治45

    毛利 敬親:もうり・たかりか:文政2−明治4

    梁川 星巌:やながわ・せいがん:寛政1−安政5

    山内 豐信:やまうち・とよしげ:文政10−明治5

    山内 容堂:やまうち・ゆどう:⇒山内豐信

    山崎 蒸:やまざき・すすむ:?

    山岡 鉄舟:やまおか・てっしゅう:天保7−明治21
    略歴
  • 天保7年(1836):6月10日、江戸本所に御蔵奉公小野朝右衛門高福の四男として生まれる。
  • 天保14年(1843):この頃より観世音を信仰する。
  • 弘化2年(1845):8月24日、郡代となりし父母に伴われ、飛騨高山に就く。
  • 弘化3年(1846):考明天皇即位。富田礼彦に習字並びに素読を受ける。
  • 嘉永3年(1850):異父母に従い、父の代参として伊勢大廊に詣で、国学者足代弘訓と相識る。 「修身二十則」をつくる。
  • 嘉永4年(1851):9月25日、母磯女、高山陣屋に病死する。
  • 嘉永5年(1852):父朝右衛門高福、高山陣屋に病死する。
    7月29日、江戸に帰り、義兄、小野幾三郎の許に寄る。

    山県 有朋:やまがた・ありとも:天保9−大正11

    山南 敬助:やまなみ・けいすけ:33−65

    山本 覚馬:やまもと・かくま:28−92

    結城 とら寿:ゆうき・とらじゅ:18−56

    結城 無二三:ゆうき・むにぞう:45−1912

    由利 公正:ゆり・きみまさ:文政12−明治42

    横井 小楠:よこい・しょうなん:文化6−明治2

    吉田 松陰:よしだ・しょういん:天保1−安政6

    吉田 東洋:よしだ・とうよう:文化13−文久2

    頼 山陽:らい・さんよう:安永9−天保3

    頼 三樹三郎:らい・みきさぶりょう:文政8−安政6